“神童” と呼ばれていたナビ
東京で初めて無線に出た夜でした。頭ごなしにバカにしてきた2人がいました。なんて生意気な奴らだと思った時「まーまー」と入ってくれたのが、年上のXさんとGさんでした。どんな奴かと思い数日後「野球をしているからおいでよ」と無線で誘われました。多摩川の川原でゲームに混ぜてもらい、あのムカつく奴らはと思っていると、その2人は大きなソフトボールが打てない取れない黒ぶちメガネの高校生と専門学校生でした。5歳位から無理やり野球をさせられていた私は、そんな彼らを見て怒る気が無くなっていました。声だけで相手を想像し、交互通信なので直ぐには言い返えせない無線の難しさでした。

B君は、呆れて見ていた私に何事も無かったかのように近付き、何時の間にか仲良く遊んでいました。きっと感じた事を正直に言っただけだったのでしょうね。

B君のお婆ちゃんに初めて会った時でした。「うちのBは、小さい頃は、とても頭の良い子で周囲からは“神童”と呼ばれていたんだけどねー。小学校に入った頃に高い熱を出してからは・・・。」と。確かに、変わっていると感じる反面凡人には無い、ひらめきを感じる事もありました。



私の車(ニッサン チェリー)に取り付けた無線機には、外部スピーカー機能(宣伝カーみたいなもの)が付いていました。住宅地で待ち合わせをしている時でした。B君はマイクを取り「ご町内の皆様こちらはチリ紙の交換車です。ご不要になった古新聞、古雑誌・・・。」と始めたのです。間もなく新聞の束を持ったオバちゃん達が家から出て来て周りを見渡し不思議そうにしていました。また、バス停にいる女の子に「どこ行くの〜。」と。「オジサンお仕事ご苦労さまで〜す。」とか。私が「やめろよー。」と言うと「二度と会わなければいいんだよ。」と、笑っていました。福島の狭い盆地で育った私には考えられない言葉でした。



チェリー1000 DX(商用車と、あまり変わらないグレードです。)この他に、当時まだ市販されていなかったデジタル時計。福島を出た時は手の平に乗る小さな電子“サイレン”が私の車で1.5Wとなり。B君の車では10Wとなりました。



いつも私の助手席で、やりたい放題のB君でしたが、自動車の免許を取ると全てにパワーアップしました。もちろん車も私が目指していたものを超えていました。


私のチェリー B君チェリーFU
排気量 1000 1400
ヘッドライト CIBIE CIBIE
フォグランプ タイプ45 オスカープラス
クラクション マーシャル2連 ファイアム3連
外部アンプ 1.5W 10W
電子音 1音 約25音

もしかするとB君の代わりに私が写っていたかもしれないチェリーFU。