夏が終わり・・・季節は秋。


“夏の旅”の前後は福島に帰っていた事もあり。一ヶ月近い“空白”を埋める為に忙しく走り回る事になりました。移動は車の性能に助けられ無事でしたが、人生の事故?は避ける事が出来ませんでした。
(本業が忙しい、単独行動。フィルム式の8ミリカメラが加わった為、あまり写真が無いのです。)



そして 11月
U君に付き合って名古屋へ。八百子ちゃんと、沖縄で知り合ったM子ちゃんの4人で京都方面へ。
(三千院の紅葉が、とても綺麗でした。) 

夕方、琵琶湖畔で、ボーッとしてU君達を見ている時でした。八百子ちゃんが 「なー。私達、何やっとるんかなー?」と。私『たぶん、キューピットだろ。』と言うと。笑いながら「えらい、汚ったねー、キューピットだねー。」と。私、『そうだなー。』と、笑いが出てしまいました。

和やかな雰囲気になったところで・・・。
八百子「ところでS子ちゃん、どうしたん?」と。私『振られた。』と。「それは聞いていたけど、あんなに仲良かったのにー、何でやー?」と。私『夏、忙しくて1ヶ月以上会ってなかったから、会いに行ったんだよ。途中で電話をして呼び出そうと思っていたら凄い山の中で、電話が無くて直接家に行ったら。突然、S子ちゃんそっくりの顔した丸々と太ったお母さんが出て来て焦っちゃってさー。名前言ったら知っていて、両親揃って泊まってけ、泊まってけでさ。午後2時から、初めて行った女の子の家にお泊まりなんてね。困っているところへ、S子ちゃんが来て、外へ連れ出してくれたので。近くの川の所に車を停めて話をしていたんだよ。
無邪気な顔で、一生懸命話をしている姿を見ていたら“お持ち帰りかなー?”なんて気になった時。「これ!誰の?」と、シフトレバーに掛けてあった輪ゴムを摘んだ。前から何だろうと思っていたのが一瞬で“髪留め”と判り「妹のじゃない。福島に帰った時、運転させたから。」と。髪留めは納得したものの、気が済まないらしく周りを点検し始めてさ。どうせ何も無いと思っていたら。さっきまでS子ちゃんの家を探すのに使っていたアドレス帳が後ろのシートに放り投げてあったんだよ。女の子の名前が30人位あったかな?顔色が変わっちゃって。目が合った時“終わったな”と思い。それがどうしたという気持ちで、世間話をしながら家に送って終わりさ。しばらくして、B君から、「付き合う気は無いって言ってたよ。」と聞かされたんだよ。』

八百子「たったそれだけなの、言い訳しなかったん?」 私『 しないよ、目が合った瞬間に“終わった”んだから・・・。違約金まで用意したのに、何だったのかなー?』 「違約金って?」 『彼女が看護婦になる為のお金は病院で出すらしく。卒業しても数年間病院で働くか、違約金を払わないと名古屋を離れられないって言うから、用意したんだよ。彼女には言ってなかったけど・・・。』 「幾ら?」 『言えないよ・・・。』

突然、八百子ちゃんが笑い出したので。私、『何が面白いんだよ!』と聞くと。ニヤッと笑いながら「こんなに面白い話は、めったにないよ〜♪。他人の不幸は面白いんだよー。」と更に笑い出したので、つられて笑っていると。U君が戻って来て「何、笑ってんだよー。」と。私『他人の不幸は、面白いんだってさー。』と、八百子ちゃんに、おもいっきり笑われて、やっと本来の自分(単純で元気な?)に戻る事ができました。

U君、B君、M君。もう忘れてしまったと思いますが、あの時こんな事があったのです。しかし・・・。翌年の夏、安否確認?があったのは何だったのでしょうね。私の安否?は“結婚します。”でした。




数週間後。今度はB君が「名古屋に行こうよ。」と。理由は忘れてしまいましたが、沖縄でお世話になったK子ちゃんの家に行くとの事でした。八百子ちゃんは、帰り道、何か用事があると言って車2台でK子ちゃん宅へ。洋裁が趣味、車両代金の半分はアルバイトで稼いだという赤いマツダ、ファミリア。沖縄で受けた印象とは異なり、とても家庭的で、しっかりした感じを受けました。しばらくして公園に行く事になり、何故かまた2台で移動。K子ちゃん「内池さんは、付き合っている人いるんでしょう?」と。私「うん、いるよー。」と。K子ちゃん「そうだよねー。でも、名古屋に来た時は誘って下さいね!」と。一緒にいて気は使わないし、よく気が利くし、とても楽しい。こんな女の子がいるんだと感心。帰り際、ご両親に「気を付けて帰りゃーよ。」と言われ、K子ちゃんに「じゃーねー。」と言うと。「セーター!」と一言。私が着ていたバックスバニーの赤いセーターが気に入ったらしく「くれ!くれ!」と言われていたのです。後は帰るだけだし、また買えばいいやと、セーターを脱いでポイッと放り投げて帰りました。



やれやれ、やっと終わったー! 
元はといえば、B君とU君が始めた名古屋通い。“桜”と共に始まって約8ヶ月間。いろんな事があったけど、赤いセーターと一緒に、肩の荷も降りた思いで、とても爽やかな気分でした。車は、唯茂君から引き継いで10ヶ月、約25,000kmを走り距離計は45,000kmほどになっていました。