初代は、安吉とヨネ
安吉は、瀬上町
ヨネは、大木戸生まれ

安吉は福島市瀬上町で酒と醤油の醸造を営む
近江屋の分家である孫七の家に生まれました。
そして現在の伊達郡国見町大木戸で桜桃(さくらんぼ)
を栽培するお屋敷に跡取として働きに出ました。
そこで畑の近所から働きに来ていた谷津ヨネと出会い
結婚しました。唯吉の記憶では、
そのお屋敷には.40人ほどの奉公人がいて、
広間での食事の様子と蔵に積んであった
千両箱(空)が今でも記憶に残っているそうです。
安吉は跡取になりましたが、数年後お屋敷の主に
子供が生まれ養子は不要となり
福島市に移り住み天神町で花屋を営む事となりました。

大正14年当時は花屋といっても土間(家の中で床を張らないで地面のままになっている所)
に直径60cm位の醤油樽を2個置き、花が少々入っているだけで お店とは言えない状態でした。
他にも花屋らしき店はなかったそうです。
花市場は無く当時の主な仕入れ先は福島市渡利の花見山付近で花も作っている農家や
農業試験場で分けてもらったそうです。もちろん決まった販売先は無く、
彼岸とお盆それに正月に少し需要があった程度で収入は少なく若し日の唯吉は、
朝は花と納豆を売り歩き夕方は福島新聞(柳町)の夕刊配達で
月2円を稼ぎ家計の足しにしたそうです。
当時は両親と兄弟7人の9人家族でしたが、今のようにお金が掛かる事も無く
なんとか食べていくだけの生活は出来たそうです。

写真はありませんが
絵があるはすです。
ヨネお婆ちゃんです。