唯吉10代の思い出

唯吉が12か13歳頃の記憶
 現在の、みずほ銀行の南側にあった福ビルと呼ばれた建物の前に数件の花屋が集まり花の出店を出した事があったそうです。木箱の上に戸板を渡しただけの簡単な露天で 売ったのは小菊や すみれの苗で父 安吉が自転車で市内を走り回り花を集め唯吉が売ったそうです。
まだ子供だった唯吉は 売れて残りが少なくなると もうこれだけ売れば終わりだと嬉しくなり数え易いようにスミレの苗を戸板の端に並べていたそうです。それを見た安吉は「ばーか すまこに(端に)並べたってわかんねべ
もっと上手に並べろ」と言ったそうです。唯吉は今思うと売れても自分のお金にならないのでただ早く終わって帰りたい一心でとても商売をしている気は無かったのではと言っています。

唯吉が子供の頃の思い出に お酒と米の買い物があります。
たいていのお店には 優しい番頭さんが一人はいて お米やさんは升で定量にする為に升の上に山になった米を棒で升の上面に沿ってならすのですが。優しい番頭さんは軽く成らし少し多くしてくれるそうです。
また酒屋さんは 酒瓶の定量よりちょっとだけ多く入れてくれるのです。唯吉は 買い物を頼まれると、弟を背負ってそのお店の前を行ったり来たりして、お目当ての優しい番頭さんが出て来るのを待ったそうです。 
それは 少しでも おまけしてもらえれば お父さんに「オッ 今日もいいなー」と誉めてもらえるからだったそうです。唯吉は 商売人には そんなちょっとした心使いが大切だといつも言っております。


唯吉が14歳の時 東京三田の花茂さんに修行に行きました。
当時 東京三田の花茂さんとお付き合いのあった小原流の平一葉という偉い先生が、福島の定宿としていたのが、大町にあった西屋旅館(現在の竹屋旅館)でした。当時の西屋旅館の女将さんは、お花の先生もしていて、唯吉に花屋の修行の場として、花茂さんを紹介して下さったそうです。

唯吉が19歳(昭和16年)の3月、父安吉病気で倒れ、翌月に亡くなった為。唯吉は東京での修行を諦め福島に戻りました。そして昭和19年1月(唯吉21歳)の時 召集令状が来て軍隊へ行く事となりました。