「デパートの催し物会場に大きな生け花を頼まれたのですが。」 と渡利にいらっしゃった先生に相談を受けました。唯吉は、材料を探す為に、郷ノ目に住んでいた人と二人で、朝8時頃から自転車で相馬の海を目指しました。大波の山を越え、霊山の坂を下ったあたりで良い材料は無いかと探していると。綺麗な苔の生えた桜の古木を見つけました。しかし、それは神社の木だったのです。(これは何ともなんねーなー。)と思ったのですが、近くにいた人に聞くと。「ここの宮司は、年に一度位しか来ないので聞いても分かんねーぞい。」と言われました。そこで世話人を教えてもらい「神社にある枯れた桜の木を、お賽銭を上げたつもりで切らせてもらえねべか、出来れば5円位でない。」と、お願いしました。(米1俵は8円位だったそうです。)世話人は「どうせ枯れてダメになんだから、いかっぺー。(いいでしょう)」と、言ってくれました。
喜んで木を切ると。太さ40cm長さ10mもあり、どうやって運ぶかを考え込んでしまったそうです。そして、桜の木を2台の自転車のハンドルに乗せて縛り、自転車を押して帰える事にしました。霊山のきつい坂道をやっとの思いで登り、掛田までは長い下りなので楽できると思ったのでしたが、ジャリ道の為ブレーキを掛けてもタイヤがスリップし何度も土手から落ちそうになりながら、やっと掛田の町に辿り着き、更に現在の富士病院のある山を越し、もちづり観音のあたりまで来た時には、もう動けないくらいで、店に着いたのは夜の10時を過ぎていました。
桜を生けた先生は、「まさか、こんな素晴らしい物が手に入るとは思いませんでした。」と、大変喜んでくださったそうです。後で霊山から運んだ事を知った先生は「私の為に大変苦労をしてくれたんだない。」と言って花代の他に、お礼として2円を包んで下さいました。唯吉は、頂いたお礼を、そのまま切り出しの人に渡しましたが、その人は嬉しそうにしていましたが「あんな思いは、もうしたくない。」と言っていたそうです。



切り出し職人
切り出しといっても、決まった仕事は無く、市場に集まって花札をしているか、花屋を回って仕事を探していました。そんな時、唯吉は「いけ花に使える物が、あったら切って欲しい。」と頼んでおきました。持って来た材料を、唯吉は「いくらで売ればいいい?」と尋ね、なるべく希望に添う値段で売り。利益は半分分けしました。それは、内池に持って行けば、買い叩かれる事はなく、正直に支払ってもらえる。と思ってもらいたかったのです。おかげで、よい物を集めて、一緒に喜びたいという人が増え。唯吉は、良い物を納品する事が出来るようになり、内池に頼めば良い物が手に入る。というようになりました。



材料集めの話
オートバイに乗るようになり。12月の材料集めにセイやんを乗せて浜まで行きました。当時は、米の統制があり、米を持って行かないと旅館に泊めてもらえませんでした。そこで途中の梁川で米を買おうとしたのですが、なかなか売ってもらえず通常の倍の値段でやっと買う事が出来ました。翌年は、同じお店で「昨年は、ありがとうございました。おかげさまで助かりました。」と感謝の気持ちを伝えると、直ぐに売ってもらえました。旅館も何度か行っているうちに、ご主人が「花屋さん。米は、ここいらでも余っているのです。ただ、統制に引っかかると仕事が出来なくなるので、統制の米袋だけ持って来て下さい。」と言われ、翌年からは、米の袋だけ持って行ったそうです。
帰りは、荷物が多いので運送屋さんに、お願いする事にしました。松や梅は普通の値段でオートバイは倍額でした。唯吉とセイやんは、旅館に戻り、まんま(ご飯)を食べて一杯飲んで。おにぎりと魚を包んでもらい約束の夜7時に運送屋さんの木炭車に乗せてもらいました。霊山の急坂にさしかかると、木炭車は一気に登る力は無く。運転手と助手は、松の根から松やにを取って燃やし。ガスの圧力を上げるハンドルを回す作業を3回ほど繰り返し、やっと坂を登りきりました。唯吉達は、寒いので勝手に荷物を動かして暖かいタンクの脇に移動し持って行ったおにぎりと魚を「夜食です。」と、差し出し。更に、ガスの圧力を上げる手伝いもしました。次の時も同じ運転手さんを探し、また夜食を振る舞いました。すると、運転手さんが「花屋さん、今度はいつ来るんだい。」と聞き。「運賃は要らないから、美味しい、おにぎり持って来てくなんしょ。」と言ってくれました。唯吉は、下心があった訳ではなく。オートバイで帰るには、荷物が多く、とても寒いので、どうか載せて下さい。とお願いし。そして、本当に有難いという気持ちの“おにぎり”だったのですが。結果としてタダで暖かく帰れるようになりました。唯吉は、一つの機転と、相手に疑われない誠実な気持ちが大切だと言っています。


こんな事も
その年は、良い梅が見当たらず2日間海辺を探し回りました。全く切らない訳にもいかないので、あまり良いものではありませんでしたが、農家の庭先の梅の木を切らせてもらう事にしました。応対してくれた若夫婦に、お願いして梅を切りらせて頂き、やれやれと思ったところに主である、お爺さんが帰って来ました。お爺さんは、その光景を見るなり頭から湯気が出るほどに若夫婦を怒鳴りつけました。あまりの事に唯吉はお爺さんに謝ると、お爺さんは「あんたに怒ってんじゃねー。俺に断りも無く切らせた息子達に怒ってんだー!」と更に大声を上げたのでしたそれに見かねた唯吉は「んーじゃ、爺ちゃんどうすればいいんだい?切っちまった物は糊で着ける訳にもいかないし。」と。それでも爺ちゃんは、息子が悪いの一点張りで、あまりに息子夫婦が可愛そうになり。爺ちゃんに「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿と言って、梅は切って肥料をやれば来年は良い新芽が出るから、肥料3俵分と、これから若夫婦と爺ちゃんが、いがみ合って暮らすと思うと俺も寝覚めが悪いので気分直しに温泉にでも行ってもらうように5,000円置いて行くけど、それでどうだい?」と、それでもお爺さんは、不満そうなので「この梅は、たいして良い物ではないから置いて行くよ。」と言いました。それを見ていたお婆ちゃんが「花屋さんが、せっかくそう言ってくれてんだから機嫌直してくなんしょ。」と、言ってくれたら、やっと落ち着いたそうです。唯吉が、お金を支払い手ぶらで帰ろうとすると、お爺さんは「こんな物、薪にもなんねーから持って行け。」と言ったそうです。こんな事があっても。“いろんな事があるから面白い”んだよと唯吉は笑っていました。



変わった材料
沢山の、お弟子さんを抱える先生には数軒の花屋が出入りします。お互いに良い品を納品するのは当り前で、飽きられない工夫も必要となります。当時、郷ノ目の工場に花を納品していた唯吉は、ゴミ箱に捨ててあるガラズ繊維の波板の廃材に注目しました。工場の人にお願いして分けてもらい、生け花の材料として売ると、大変喜んで頂けました。また、漂白した三叉に、ぶどうを付けたり。枝物を塗装したり、金網を使ったりと自分で工夫して、より変わった物を、より安く提供して喜んで頂きました。



技術の無い花屋を抱えた生け花の先生は伸びるのが難しい。
白石の花屋さんが、「福島で生け花教室を始めるなら、内池でなくてはダメだ。」と言って下さったそうです。そして唯吉に依頼が来ました。しかし、既に地元の先生方にお世話になっていた唯吉は、あまり力を入れませんでした。そのせいでは無いにしろ伸びる事は出来ませんでした。唯吉のいう技術とは、年末や展覧会(先生の腕の見せどころ)に使う材料は、良い物を求め唯吉自らが福島から相馬の海までを、野宿をしながら1週間ほどかけて探し、自分の手で切り出すという事でした。雨の中や冬の寒風の中での切り出しは、とても大変でしたが、良い物を納めて喜んでもらいたい。という唯吉の気持ちと。それに応えてくれる先生方の信頼関係があったから出来た。のだと唯吉は語っています。



唯吉が若い頃お世話になった東京の花屋さんから「藤の木を探して欲しい。」と依頼されました。金額の事は言わないので、とにかく良い物を探して欲しいとの事でした。唯吉は、市内に住む切り出し職人さん達に「立派な藤の木を探して下さい。」と、お願いしました。間もなく返事があり見に行くと、それは神社の境内にあり、太さ50cmはある立派な杉の木に巻きついた見事な藤の木でした。あまりの須晴らしさに諦めきれなかった唯吉は、ダメでもともとと考え。宮司さんに「藤の木をあのままにしておくと立派な杉の木が枯れてしまいますよ。」と相談しました。宮司さんは、藤よりも杉が大切だという事で、20万円で切らせて頂きました。そして、用意した2トントラックに木を積んだところで、また問題が。氏子から「なぜ切った。」と詰め寄られたのです。唯吉は事のいきさつを話し、東京の偉い先生が、こういう場所で飾る為のものだと説明し、作品を写真に撮り奉納する事で納得してもらったそうです。その後、約束通り大きな写真を特注の額に入れて納めたそうです。
まー、いろいろあったけど。木は切ってしまってからは何ともならないので、誠意を持って対処するしかねーべなー。との事でした。

TOP