もうダメだ!と思った。同乗者の一言 2-2

GS30(フェアレディZ 4人乗り)の時でした。B君とK子ちゃんR子ちゃんを乗せて上高地→白川郷→高山を経て木曾福島へ抜ける峠の下りでした。人を乗せている時は、命に対する責任・気が散る・操縦性が変わるの理由で無理はしないのが私の決め事でした。しかし、下りの加速の良さで、3日間の緊張が緩み。自分の世界に入っていたのかもしれません。B君に「ドリフト!ドリフト!」と言われ、「うるせー!」と言ってミラーを見た一瞬が減速しきれない原因でした。右に切り込んだ途端ズバッ!と横を向きました。(後輪から溝まで50cm、フロントから内側のガードレールまで1.5mに見えた。)アクセルオンのままカウンターを当て、横を見ると対向車が迫っていました。幸いな事に、なんとか立て直し蛇行しながら左車線に戻った所で、30歳位の女性と小学生位の女の子が乗った白いカローラを交す事が出来ました。事の重大さに気持ちを静めようと、間もなくあった駐車場に停車。私「焦ったー!」、B君「ダメだと思ったよー!」と。K子ちゃんに「怖かった?」と聞くと「全然」と。そうだよな、必死でカウンター当てながら横(進行方向)を見たら子供みたいに喜んでいたしな〜。そこへR子ちゃんが「ねー、ねー何かあったの?」と。あんた大きな目で、しっかり外を見ていたようだけど何も感じなかったんかい?と、心の中で。(6人もの命を危険にさらしたんだから偉そうな事は言えませんでした。)
おそらくB君は、急に運転が変わった事を教えてくれたのだと思いますが、言い方が少し解かりにくかったのです。私がM君の脇で、これは危ないと思った時は「スピード落として。」と、分り易くお願いしていました。M君は、しょうがねーなーという顔で多少速度を落としてくれました。私は、何と言われようと、やりたい事が沢山あったし“男と心中”なんて考えられない事でした。
もし、運が悪かったら、こんな画像は無かったのでしょうね。



Eさんには、お世話になりましたが、こんな事も・・・。
毎年、冬になると伯母が“綿入れ”を作ってくれました。私は、車を運転する際に肩が楽なので気に入って着ていたのです。その日は、こたつに入って“ぬくぬく”としていたら、無線機から私を呼ぶ声が。Eさんから「ちょっと来てくれない」と言われ“こたつ”を後にしました。(Eさん宅までは約40分)珍しく「今、どこ?」・「今、どこ?」と無線が入り、お宅に近づくと、表でEさん夫婦が待っていました。Eさんは、助手席に乗り込むなり「急いで銀座まで行って」と。「右・左」と言われるままに着いたのは銀座のビル。「ちょっとおいでよ」と言われ、(綿入れだけど、きっと人には会わないだろう)と、ついて行くと、部屋に押し込まれ「こんにちは〜。福島の花屋さんの息子でフェアレディZに乗っているんですよ〜。」と、大きな声で。広いフロアにいた少なくても100人ほどの注目を浴びてしまいました。“綿入れを着た田舎者”が、見世物にされたと思っていましたが、もしかすると私を連れ出したのは、原稿が遅れた事をごまかす?Eさんの作戦だったのかもしれません。もちろん、Eさんを自宅に送ると、奥さんが夕飯を用意して待っていてくれたのは言うまでもない事です。


お客様は、お一人様限定の高速?アッシー。

「ちょっと付き合ってくれない?」と、Eさんから。また約40分をかけてEさん宅へ。「ご馳走するから運転手してよ」と言われEさんの車へ、「右、左」と言われ着いた所は、沼津。何処へ行ったのかは忘れてしまいましたが、取材だったのかもしれません。私は、約束通り美味しい海の物を食べさせて頂きました。Eさんは食事中に一杯。車の中では缶ビールを飲みゴキゲンでした。この為に私が呼ばれたようでした。そんな時でも、運転は直線的に減速しスローイン・ファーストアウト、許す限りの道幅を使いアウト・イン・アウト、避けられない凸凹があれば「ちょっと揺れるよ。」と言って、エンジンブレーキをかけ凸凹の手前でアクセルオンでフロントの荷重を減らしショックを和らげ、多少速く走っても(酔っ払いは別として)缶ビールと、後部座席の奥さんと娘さんが転がらないように、走行ラインを修正するのは、何時の間にか身についた峠の走りでした。(多分?)