2月に入ると気になるのがチョコレート“義理チョコ”なんてあったのか忘れてしまいましたが。幸な事にチョコレートが集まって来ました。中でも目立ったのが名古屋のK子ちゃんでした。茶色い大きな封筒が届き、“何だこれ?”と開けると。チョコレートと一緒に、算数の問題集それも小学一年生用。お礼がてら電話をすると「勉強して下さい。」 と笑っているだけでした。


3月中旬
「スキーに行かない?」とB君。「いいよ。」と私。話を聞くと。八百子ちゃんが長野の友達の所へ行っているので。ついでにスキーに行く事になり。K子ちゃんが東京まで来て、一緒に行く事になっていました。

前日にK子ちゃんを東京駅に迎えに行き、私のアパートに泊まってもらい。私は、B君の家に泊めてもらいました。当日はB君のチェリーFUで長野へ。長野駅で八百子ちゃんを拾い木島平スキー場へ。


初日は、吹雪でゲレンデが見えず、B君と二人でコロンコロン・・・と、仲良く転倒していました。そして夕食。食堂には合宿に来たらしい男ばかり10人位と、我々二人がいました。「腹減ったー!」と、ぼやきながら八百子ちゃん達を待っていると、二人が階段を下りて来ました。(何やってんだ、遅いぞー!)と思った時。男全員の視線を感じたK子ちゃんが、作り笑いをして恥ずかしそうに首をすくめたのです。その瞬間。K子ちゃんを恋愛の対象外にしていた全てのものが吹き飛びました。

2日目は、快晴。新雪が積もり、そして誰もいない・・・。
ゲレンデは、私達4人だけの遊び場となりK子ちゃんと楽しく・・・とは、ならなかったのです。


1978年3月22日
この日私は、ゲレンデでサーフィンを試みる人間を、初めて見ました。それはB君がソリの上に立ち上がり、「サーファー!」と叫びながら滑り下りようとしていたのでした。残念ならがフィルム式の8ミリの小さい画像しかありません。



左の写真のK子ちゃんは、とてもイヤがっています。それは、まさかこんな事になるとは思わなかったので。数ヶ月前に「付き合っている子いるよ。」と言い。アパートを全くの無防備で12時間も開放していたので。“アドレス帳”なんて比較にならない、大量の情報を得ていたからだと思います。特に隠す理由は無い!と思った私は、B君と酒を飲みギターを弾いて楽しく過ごしていました。


3日目
K子ちゃんを名古屋の自宅に送り。沖縄の写真を見て、私に会いたいという女の子との約束を断わり。一路東京へ。夜、K子ちゃんに電話をして「付き会って下さい。」と言うと「結婚が前提なら」と言われ、お付き合い頂ける事になりました。(“付き合って下さい”という言葉は高校生以来でした。)

こうして、また名古屋通いが始まったのです。但し、2月〜4月の3ヶ月間は、ジープの為。Zでの移動は、ありませんでした。


長かったですねー。やっとこれで峠から高速道路に本格デビューになります。結局、車が好きだ!自由でいたい!等と言っていても。相手次第なんですね。