東京でアパートを探す際の条件は。学校から少し離れている、交通の便が良い、日当たりの良い所でした。中央線東小金井で条件の揃った所を見つけ。埼玉の大学に通う、高校の同級生のT君の車で引越しをしました。と言っても布団一人分、教科書(ダンボール1箱)と衣類のみでした。
生活に必要な物は、ほとんど無いのでT君の車で。釜、鍋、食器、TV、冷蔵庫、自転車等を買いに行き。ご飯の炊き方、味噌汁の作り方etC。考えてみれば、福島では何もやった事が無かったし、親も一人暮らしになるとは思って無かったのです。夜になり「ところで風呂屋は何処だろうね。」となり大家さんに聞くと。「線路を渡って、ちょっと行った所です。」と言われました。
生活用品を買いに行ったついでに「自転車も欲しいな。」と言うと。「これなら安くしておきます。」と言われて購入。写真では分りませんが。前後の車軸には。BMXフリースタイルのペグ(ステップ)のような物を取り付けて3人乗りを可能にしていました。狭い路地でパトカーと鉢合わせをしてしまった際。警察官に「二人乗りはしないように。自転車が可愛そうだ。」と言われた事がありました。公園では、ステップに乗って遊んでいました。何に乗っても普通に走れないのです。
(ステップにしていたのは、外装変速機の自転車が転倒した際に、変速機を守る為の物でした。)
車(チェリー)を手にしてからの写真だと思います。最初は奥の白黒TVがダンボール箱に乗った状態にテーブル代わりのコタツ、モノラルカセットテープレコーダーが、あっただけでした。
私が住んでいたアパートは風呂が無いだけで。当時の学生では、一般的なものだと思います。しかし、風呂が無いのが、こんなに大変だとは思いませんでした。



風呂の思い出
T君が埼玉に帰ると車が無くなり。自転車で風呂屋へ。夕方の踏み切りは、ほとんと開かず。体が冷えてしまったり。急いで渡っていたら自転車のカゴから石鹸やシャンプーが線路に飛び散り、警報機の鳴る踏み切りの中で拾い集めた事もあり。線路をまたぐようにある駅を通るようになりました。(自転車を抱えて登り、駅の中を走り、また抱えて下りるのです。)風呂に要する時間は1時間位だったと思います。



自動車を買って貰ってからは、寒さに震える事も無くなり。U君に線路を越さなくても良い風呂屋を教えてもらってからは大変楽になりました。そして、フェアレディZ(GS30)の時でした。学校へは。自転車で行き、帰宅して車でスーパーへ、そのまま風呂屋に行き。どこかのご隠居さんと、のんびり入るのが、いつもの日課でした。ある日、風呂屋から出て、車のドアを開けた時。駐車場が、一杯で私の車が出るのを待っている事に気が付きました。私は急いで乗り込み、風呂屋を後にしました。1速から2速へシフトアップしたところで、ふとミラーを見るとパッシングしている車が・・・。信号が赤なので停車すると。なんと軽自動車。(ふざけるな!と思ったら。)オジサンが窓から顔を出して何か叫んている?。うるせー!と思いながらドアを少し開けて振り返ると。「何か落ちましたよー!」と。(もしかして?と横を見ると・・・無い!)信号が変わったとたん急発進、路地へ頭を突っ込んでターン。商店街をアクセル全開で風呂屋へ。(頭の中は、屋根からすべり落ちた風呂桶からシャンプー、リンス、石鹸、タオルそれに下着が路上に散乱している様子が浮かんでいました。)風呂屋の駐車場の前には何も無く。周囲を見渡すと、塀の上に見慣れた風呂桶が乗っていました。(誰か拾い集めてくれたんだ。と思いながら)風呂桶を取り周囲に頭を下げて帰りました。後で風呂桶の中を見ると。私が並べたままの状態で汚れてもいないので。多分、上手に落ちたようでした。運が悪ければ、またチェックのパンツを披露するところでした。

左、風呂桶を落としたGS30。風呂付きのアパートが良いな、と思いながら。引越すのも面倒なので、この4台で風呂屋通いをしていました。


私の意志で引っ越したのではありませんが。学校が近ければ、通学時間が短いので余裕が出来ると思いましたが。炊事に洗濯、風呂屋通いが加わり。叔母や親のありがたさが良く分かりました。