アマチュア無線 V




無線で知り合った仲間は沢山いました。
その中でも、大変お世話になった皆さんです。


無線の仲間達との初めての旅行。上高地→乗鞍→高山→名古屋の、一泊二日の小旅行。無事東京に帰ったものの豪雨に会い。甲州街道と多摩霊園の間が、歩道が隠れるほどの洪水。多摩霊園の前をエンジンブレーキをかけて右折、道なりに左折、と思ったらブレーキが効かない・・・。突然の事にパニック!。そのまま真っ直ぐ藪の中、と思ったら。車一台分の隙間があり。助かったー!でした。チェリーは、グレードの低い車だったので。四輪ドラムブレーキの為。ブレーキに水が入ると効かなくなるのでした。その後、雨の中を走っている時は、時々左足でブレーキを踏んで、ブレーキシューを乾かしていたので。左足でブレーキを踏むのが上手になりました。





山中湖近くでの忘年会。フェアレディZ(S30)を購入したばかりの私に。「フェアレディZを見せびらかしに来るのか。」と言った仲間がいて。別の仲間のスカイライン2000GTでの参加。ムカついていた私にN君が何か言ったらしく。酔った勢いでN君が乗って来たコロナマークUHTにジャー!翌朝、帰り際に車を見ると。前輪から後輪まで一直線に氷の帯が、そして流れた跡まで凍っている。幸い助手席側だったのでN君は気が付きませんでした。




フェアレディZ(S30)、無線機の写真は見当たりませんが。アンテナの長さから430MHz帯の無線機だと思います。この車の頃は、どうすれば車が思い通りに動いてくれるのか“車との対話”が忙しくて、無線で話をする余裕が、ありませんでした。




左、新潟、白馬、野沢。この時もGさん(小金井のお殿様と呼ばれていた。)の2000GTに乗せてもらいました。日本海に注ぐ4mほどの川を飛び越そうとしてボチャン!なんと踏み切った砂に靴がめり込んで飛び損ねたのです。写真は2度目と思います。最初は靴のまま水深20〜30cmの場所に落ちた記憶があります。着ていたセーターとズボンがズブ濡れになり。帰りは借り物のジャージでした。



甲府のあたりと思います。結局フェアレディZで参加した事は無かったようです。(そういう性格なのです。)写真にN君が見当たらないので、はっきりは分りませんが。N君のフェアレディZ(S30)をサニークーペ1200GXで追いかけていた時でした。パワーが無いのでアクセル全開。ハンドルが軽いので、切り過ぎてしまい。S字コーナーを左右にお尻を振って抜けた記憶があります。それでもエンジンブレーキをかけながら左車線だけを使って走るZに軽く、ぶっちぎられ、自分のフェアレディZ(S30)だったら負けないのにと、無線で怒鳴っていました。(そんな事はB君やU君は分っていたのに。直ぐに熱くなる単純な性格なのです。)



フェアレディZ GS30(4人乗り)
430MHzと1200MHzの2台を搭載し同時通話の予定でしたが。1200MHzは相手がいない為。ほとんど使いませんでした。無線機は2台でもアンテナは1本で済む装置が付いていました。




伊豆白浜のN君の別荘の屋上駐車場にて。私(左端)二日酔いで大変でした。この時も行きはU君のサニー、帰りはN君のZ(S30)だったと思います。皆さん、仕事や子育てが忙しくなり。私が、仲間と移動したのは、これが最後だったかもしれません。私はB君と春の旅Uのおかげで、とても忙しく無線に出る機会が減っていました。



こんな失敗もありました。

前にも書きましたが。初めての無線局(人)との交信は、相手が何処の誰かも判らないのです。お互いに自己紹介をして。声や口調で、どんな人かを想像し話が合えば、長話になるのです。しかし、電波が弱く聞きにくい場合には、最初から判断を誤る事もありました。それは、福島1時間45分の時でした。雑音混じりの電波で若い女の子が何度も「誰か聞いていませんか?」と呼んでいたのです。(仕方ねーなー。と思いながら)180km/hで運転しながら片手にマイクを持って声をかけたのです。そして直ぐに電波が強くなり、女の子では無く。小学生の男の子と分りました。女の子と間違えたとは言えず、話を始めました。

丁寧に自己紹介をしてくれているうちに、遠くに見えていた山が、だんだん近づき。(秒速50mだから、1分間に3km。あの山まで5km位だから・・・。ヤバ〜!)となり。「すみません。180km/hで走行中なので約2分ほどで山の陰になります。申し訳ありませんが。またよろしくね。」と言って交信を終了しました。私の言っている事が小学生に理解して貰えたかどうかは分りませんが。若い女性でも、減速する事は無かったと思います。



その後

フェアレディZ(S130)になってからは、あまり無線に出る事が無くなり。無線機は、高速道路の情報を収集する為に使い。アンテナは、必要な時だけマグネットで屋根に取り付けて使っていました。
そして、名古屋で無線機とアンテナを購入し、妻にも免許を取得させましたが。仲間に恵まれなかった事と、家族で過ごすのが楽しくなり、無線を利用する事は無くなりました。
という事で。アマチュア無線は大抵の場合。最初は声だけの付き合いから始まる、年齢や職業を越えた人々との交流の場であり。いろいろな生活や考え方、知識等を与えてくれました。福島の狭い盆地から東京に出ても、アマチュア無線が無かったら、これほど多くの経験は私には出来なかったと思います。